今月の言葉



   「念仏する衆生を摂取して捨てたまわず」

 中学生の頃、「海外の方に英語でお手紙を書きましょう」という課題がありました。私も書いたのですが、返信がこなくてがっかりした覚えがあります。英語の実力がないのだと自分なりに納得したのですが、返信のあった友達もいて少々落ち込んだことをなつかしく思い出します。
 今年2月の新聞にこんな記事がありました。千葉県銚子漁港で水揚げされた体長50センチほどのサメガレイの背中に、折りたたまれた紙片と割れた風船の残骸がくっついていたというのです。
 それは今から14年前に川崎市内の小学校1年生が学校の120周年記念のイベントのひとつとして、風船で手紙を飛ばし、拾った方から返事をいただくというもの。見つかった手紙の主は今21歳の大学生。海上におちた手紙が長い時間をかけてカレイの生育する水深1000メートルの深い海底に行き着いたようで、奇跡のようなカレイからの返信でした。
 その手紙の主が「まさか、こんな形で返事が届くなんて。返事が来た友だちもいたのに自分には来ずがっかりした記憶があります。とてもうれしいです」と。
 何ともほのぼのとした話。信じられない形で、いかにもサメガレイが「手紙を受け取ったよ」とメッセージをくれたものでした。発信したものが返ってくるのは喜びです。さらに言えば、発した内容が深刻ならば、それだけ返信を受ける喜びは大きなものでしょう。
 そう思うとき、お念仏がいかに有り難いか。声を発したら、阿弥陀様は必ず応え返してくれる。この世は本当に苦しい。次々に壁が現れ、翻弄され、叩きつけられ、助けてください、救ってくださいという発信内容は深刻です。しかし、阿弥陀様はそれに正面から応えてくれる。しかも「必ず」。無視され捨てられることはないのです。今日も南無阿弥陀仏と唱えます。お念仏の返信は必ずあるのですから。
                                 (慶野匡文)

  上記の文は『宗報』(平成21年9月号67頁)より転載しました。